2008年10月12日

基礎知識①

カメリハ: カメラリハーサルの略で、収録前にダミーの演者さんを使っての動きと一連の流れをチェックすること。

ドライ: 演技のリハーサルでカメラを通さないで直接現場で各セクションのスタッフも含めて演技を見て照明の微調整や音声のマイクの位置カメラの動きの最終確認をすること。

ランスルー: カメラを使って本番同様のリハーサルをしてモニターを通して確認をすること。

アナログ地上波の画面サイズはSDサイズ。640×480ピクセルの縦横比4:3。
地上デジタル放送はHDサイズ。1280×720 1920×1080ピクセルの縦横比率16:9。

投稿者 matsuno : 14:16

2008年06月02日

「ハンティング・パーティ」というA級でB級な映画

封切りと同時に見たが、感想を書いていなかったので、書いておく。

「ハンティング・パーティ」

題材はボスニア・ヘルツエゴビナ紛争の民族浄化問題と指導者の生け捕り作戦をするジャーナリストの物語。
題材はA級なのだが、作りが残念ながらB級。
ハンバーガーのメガサイズを問題にした「スーパーサイズミー」のような雰囲気が、映画全編に流れているように感じるのは私だけだろうか。

どこまで実話で、どこからがフィクションなのかはわからない。ただ、民族浄化を扇動したセルビア人指導者・カラジッチ氏が、未だに逃亡中であること、そして、CIA、NATO、国連などが逮捕にやる気がないという現実について、この映画は鋭く突いている。

映画では、ジャーナリスト3人が、CIAなどよりも早く、短期間の努力で、生け捕り寸前にまで追い詰める物語が展開され、公的な機関の怠慢ぶりを暴露した形になっている。

映画全体がジャーナリズム的といえば、そうなんだが、作りがなにしろ安っぽいのが残念。

ただ、特種を狙ってメシを食っている戦場ジャーナリストは、世界中にいることは確かだ。
それが良いか悪いかは別にして。

投稿者 matsuno : 21:48

2008年05月27日

「オットーと呼ばれる日本人」とは

ゾルゲ事件で逮捕・絞首刑になった元朝日新聞記者で、近衛内閣のブレインだった尾崎秀実は、オットーと呼ばれる日本人だった。芝居からも、尾崎がかなりのインテリだったことがわかる。

尾崎のスパイ行為は、日本が戦争で崩壊する前に、日本を救うためにやったことである-それを前提に物語は展開していく。

尾崎が、ゾルゲのインターナショナルな発想に対し、あくまで日本民族であるというナショナルな考えを捨てないところが面白い。

驚いたのは、尾崎が関東軍参謀だった石原莞爾の主張に同調する意見をもち、一度会ってみたいと話すところだ。

芝居は言葉だ、とつくづく感じる。動きが余りなく、言葉のやりとりで物語が展開していく。
映画とはまったく違う。
メディアでいうと、芝居は新聞みたいなものだ。

投稿者 matsuno : 22:07