2007年02月13日

就職活動の面接の極意!

私が面接した中で、さっさと落とした学生には、6タイプあった。

1つ目は、口をポカーンと開けてる状態の学生。

あいさつも元気がないし、イスの横まできて、ただボーっとたたずんでいる。普通は、大学名と名前ぐらい名乗るだろうが!、と言いたくなるような学生。しかし、この手の学生が、けっこういた。それから、面接が始まっても、こちらの質問にぽつりぽつりとしか話さない人。つまり、自分の人生がかかっているという認識が乏しい。こういう学生は、与えられるのを待って育ってきた連中である。会社が、そんな学生を採用するわけがない。自分から動いてアピールしなければ、この世の中、何も始まらないですね。


2つ目は、知ったかぶりする学生。

会社のパンフレットやWebを読み、業界研究も良くしているのだが、何でも知ったかぶりをして、墓穴を掘るのである。よく勉強しているなあと思うので、すこし専門的なことを聞くと、必死でつじつまを合わせようとする。それで、終わりである。分からないときは、「分かりません。勉強不足でした」と潔く答えた方がいい。つべこべ取り繕うと、それが印象を悪くする。知らないことは知らない、と正直に言いながら、「これから勉強いたします」と意欲を見せることが大事です。


3つ目は、自分がスカスカな学生。

これが一番多い。大学時代まで、一体何して生きてきたのか分からない人が多すぎる。自分をよく振り返って、分析できてないんですね。自分が好きなこと、やりたいこと、寝食忘れてのめり込んだこと、これからの夢、など、一度も自分で意識して考えたことがないんだね。就職活動するにあたっては、そういう自己分析は必須です。就職希望先に、自分をPRするのに、PRする本体である自分を自分が知らないわけだから、これは面接の時にボロボロになるのは当たり前。マスコミ受けるんだったら、3つぐらいは自分をPRできるカードを準備しておかないとね。
 就職活動を直前に控え、「すみません。私はPRできるカードがなにもないんですけど」と言った学生がいた。そういう学生は、「私は白紙です。白いキャンバスです。御社の色に染まります」、ぐらいしか言えない。それで受かるとは思えないが。
 本当は、どんな人でも、良く自分を振り返れば、PRできることはいくつかあるんですね。しかし、一番大事なことは、1年生のときから、しっかり勉強も遊びも活動もやって、何かを自分で学びとることが大事。つまづいても、失敗しても、そこから何かを学んだ人は、それがPRポイントになります。


4つ目は、受ける会社の人間をたくさん知っているという学生

それから、いろんな人の話を持ち出し、「御社の誰誰さんにも会いました」「講演を聴いて感動しました」という人。採用試験は、受けている人のことを知りたいのであって、社内の人間の話などは関係ない。ましてや、名前を挙げた人物に敵が1人もいなければいいが、マスコミではそんなことはありえない。面接官と相性が悪いときもある。そのときは、その場で終わりになる。面接している方も、あんまりいい感じがしない。どれだけ社員のOB訪問をしたと言われても、大事なのは受けている本人の魅力だからね。


5つ目は、態度でかい学生

「私を採用したいと思ったら採用してください」「私は自分に素直に生きたいと思います」「将来は独立して、外国でフリーとしてやりたいです」。

あ、そう、じゃ、さよなら!そんな奴、採用したくないよ!!

こっちだって、貴重な時間割いて、君のために話を聞こうとしているんだよ。それを、偉そうに自分の生き方の哲学とか言われてもね。自己中心的すぎる。社会に出ると、自分の思い通りにならないことは多い。命令されたら、すぐに事故現場、事件現場に行ってリポート送らなければならない。自分に素直に生きたいなら、いまだ徒弟制度の残るマスコミなんか受けなければいいのでは。
 「私はぜひ御社に入って、自分の○○という能力を生かして貢献したいと思います」「御社で仕事することは、私の子ども時代からの夢でした」「私は御社の○○という番組を制作することが、少年時代からの憧れでした」と言ってくれなきゃね。そういわれたら、少しは話を聞こうじゃないかと思ってしまう。それが、たとえ10分前に思いついたセリフであったとしてもね。やはり、熱意ですよ。やる気ですよ。それに、どういう能力を持っていて、どういうことがやりたいのかをちゃんと言えることだね。

エントリーシートを採点したり、面接をやるのは、本当に疲れる。だから、しゃきしゃきしてさわやかで、ちゃんと夢を語ってくれる人には、高い点数をつけてしまうわけです。ほとんどは、ESやぶり捨てたい学生ばかりだからね。

***
自分に素直に生きるということは良いこと。
しかし、それを採用試験の面接で言うべきなのかどうか。自分に素直に生きようと決心した瞬間、私はマスコミを目指すことにしました、というのならわかるが。
しかし、採用試験というのは、会社の業務を、本当に任せることができる人材なのかどうかを判断する場所なのだから、自分の生き方の哲学を披露する場所じゃないと思う。
自分の生き方の問題は、自分の中で考えればよいことだ。その会社に入ってどういう仕事をすることが自己実現につながり、どうすれば自分に素直に生きることになるのかは、自分の心の中で考えるべきものだと思います。


6つ目は、オーラの出ていない学生

マスコミの試験は大きく分けると2ブロックで構成される。1つは筆記。時事問題、常識問題、作文、英語。そして、もう1つは面接。筆記は受かっても、面接が極めて重要。最終まで行く人は、やはり、オーラが出ているんですね、オーラが。具体的には何かというと、笑顔とアイコンタクトは必須。それに、賢さやコミュニケーション能力の高さ、そして最後は、仲間にいれてもいいかなと思わせる人間性や人柄ですね。
 

何事も、トレーニングです。
ケタグリではなく、がっぷり組んで、寄り切れる実力。
そして、外見ではなく、内面からにじみ出る人間性。
鍛えられて強さに裏打ちされた優しさ、笑顔と明るさですね。


投稿者 matsuno : 00:04

2007年02月10日

たかが映像、されど映像・・・

マスコミの世界で20年以上働いて、大学という環境に入ったが、そこで学生に感じたのは、次のようなことだった。

「とろい」
「不真面目」
「無責任」
「いいかげん」
「志(野心)の欠如」
「段取りが下手」
「マネジメント能力欠如」
「リーダーシップ欠如」
「基礎学力不足」
「受身」
「礼儀と敬語知らず」

11もあり、途方に暮れたのである。ほとんどの教員は、こういう問題は大学教育の範疇ではない。本人の問題だと言うのだろう。が、マスコミの現場で修羅場をくぐり抜けてきた者としては、「ゼミ生ぐらいはなんとかしなければ・・・」と思った。

人生は自己責任だから・・・。そう言ってしまえば、大学だから、それで済む。しかし、学生がかわいそうに思えてならない。社会で生きていけない連中が多く、このまま送り出すと、きっと脱落していくのではないかと不安になった。

またやっかいなのは、マスコミ希望者が私のゼミに来るのである。

マスコミは、東大などの有名国立大学、早稲田、慶応といった連中がひしめき、そのなかでも、野心や自尊心の強い「ギラギラした奴」がうごめいている場所である。

まずマスコミに受かるのが大変だし、入ってからも大変である。そもそも就職活動する以前の問題、つまり11個の課題をクリアしなければ、とてもとても、「私は、マスコミ志望です」などと言えないぐらい難しい業界である。

こうした絶望的な状況が、すこしだけ変わるきっかけがあった。

私のゼミでは3年前、「多摩探検隊」という番組を制作して多摩地区のCATVで放送するという活動を開始した。この活動は、地域情報化のツール、市民メディアのモデル作り、機能分析という研究を目的にやりはじめたものだった。

しかし、それは甘かった。11もの問題を抱えた学生が、こういう番組制作などというメディアでも最も難しい作業をこなせるわけがないのだ。だから、最初は、自転車操業状態。私も、体を壊した。

それが不思議なもので、少しずつだが、ノウハウを蓄積し先輩から後輩へ伝承し始めた。毎月放送される番組も、国内のコンテストで入賞するようになった。番組のレベルも、最近はかなり高くなったように思う

私が最も驚いたのは、11もの問題を抱えた学生は、1,2年で、急激に成長し、ある程度改善するという事実だ。

そもそも、普通の社会人でも、この11をすべてこなせる人などいないだろう。程度の差の問題である。最近は、いろんな企業の方やマスコミの方が取材にこられるが、どの方もゼミ生の態度に驚かれる。「まだ2年生なの?4年生かと思った」「鍛えられてますねー」。

番組制作というものは、企画を立て、アポを取り、現地に行って事前取材し、構成を立て、そして撮影に行き、さらに構成を立てて、編集作業を行い、いろんな先輩に叩かれ、そして、一本わずか数分の作品をパッケージ化する。とてつもなく手間がかかり、気絶するぐらい面倒な作業である。

こうした作業は、映像制作というスキルだけでなく、人間性を鍛える上でも役に立つと、最近確信している。身なりや言葉遣い、取材先とのコミュニケーション、安全管理、チームワーク、面白ければ苦労は乗り越えられるという実感、そして、完成させて放送されれば自己効力感も向上する。

すさまじく口の堅い職人さんが、多摩地区にはたくさんいる。「撮影はうっとおしい」と言って断る人もいる。朴訥で、なかなか心の内を語ってくれないガンコ親父もいる。しかし、そういう世代の違う人たちのところに、何回も何回も足を運んで話をする。そうしているうちに、向こうが根負けして、すこしずつ話し出してくれる。最後は、若い学生たちと不思議な信頼関係が芽生えている。

こうした経験は、ジャーナリストになってからも、十分いかせるのではないかと思う。

そしてなにより、自分の足で多摩という地域を歩き、実は多くの未発見のものが存在するのだということに気づくという点が、面白いのである。これもまた、新聞記者になって地方に赴任して取材するときは役に立つし、何より楽しんで仕事ができる。

途中で、「ゼミ活動やっていると遊べない」と言って去っていく者もいる。しかし、最後まで生き残った者は、何某かの成果を握り締めて卒業していく。そのころには、11の問題はかなり改善されている。

大学のサーバーが消滅しない限り、自分が苦労して制作した作品は残り続ける。社会に出てもネットにアクセスして作品を見れば、そこに自分の青春の輝きを見つけることができるのである。

マスコミ業界にも毎年数人は受かるようになった。しかし、それは結果である。それよりも、もっと大事なものを、ゼミ活動を通して体得してくれていれば、私はうれしい。

たかが映像、されど映像である・・・。

*ただ、活字による訓練もあわせてやらないといけないのであるが、その話は、また別の機会に。

投稿者 matsuno : 23:06

2007年01月24日

留年か卒業か②

私は、こういうことが言いたいのである。

1、希望していないところに内定した場合、卒業までにジレンマに陥る

2、自分の気持ちを整理できないまま、一か八かで希望しない内定先に就職すると、矛盾をそのまま引きずって、途中で辞める可能性がある

3、途中で辞めると、大きな失望感に襲われるだけでなく、転職するときに、辞めた理由をいろいろ聞かれて不利である。それでも、頑張れば問題ないのだが、そう簡単なものではない。

4、日本の企業は、米国がキャリア重視であるのと違って、新卒一括採用で、入社時の「同期」が定年までつきまとう。管理職昇格や役員人事にもそれが反映される。私自身、そういう硬直した制度は壊れたと思っていたが、まだまだ残っている。

5、自分がやる気があるのなら、留年してもう一度自分の志望先に挑戦したほうがいいのではないか。ただし、志望群をいくつか用意し、戦略的に就職活動を展開することが大事。


6、いろんな事情で、やむなく志望していないところに就職しても、そこでやりがいを見つけることはある。だから、すべてを否定しているわけではない。しかし、志望していないところに、心の矛盾を抱えて就職するのなら、もう一度やり直した方がいいということ。あるいは、自分で決断して心の整理をして、けじめをつけて就職することが大事。

7、米国のように、自分のキャリアを伸ばし、大学院を出て、さらに自分の目標に向かっていくことが、日本ではできにくい。新卒一括採用、終身雇用、年功序列型賃金、「同期」の存在、中途と生え抜きの格差、総合職と一般職の格差などなど、いろいろ問題はある。だから、大学から就職するときが一番、注意しなければいけないと言っているわけである。そういう制度はもう日本でも壊れたという意見もあるが、私はまだまだ残っているし、そうした日本的制度の良さがあることも否定できない。グローバル化が進む中、もう一度日本型雇用システムを再評価しようという声もある。だから、大学から社会へ出るタイミングが大事なのである。

8、日本の就職事情はとても厳しいし、雇用形態自体が相変わらず硬直化しているので、できれば留年して再度挑戦したほうがいい。一旦、卒業して活動することを、私は否定しないが、苦労するでしょう。そう甘くはない。卒業してしまうと、すごーく不利になる。

9、「受けまくる」は、私がやっているマスコミ塾の2大鉄則の1つ。受けまくるのは、志望先を受けるということで、あらゆるところを受けるという意味ではない。マスコミだけでも、かなりある。それに、そう簡単に、内定など取れない。受けまくっているうちに、というより、落ちまくっているうちに、企業や社会が何を求めているのかがわかる。全滅など当然である。自分を磨いてないやつなど絶対に無理。

10、会社というのは、大学と違って、歯車みたいなもので、自分がなにかできるというようなところではない。自分を殺してマシンにならなければやっていけない。そのマシンになって初めて、見えてくるものである。ただ、やっているうちに、面白さを発見することがある。そうしたらしめたものだ。しかし、どうしても矛盾を感じることがある。その多くは、大学から会社へ行くときに、しっかり、自分で納得して行っていたかによることが多い。

11、同級生はみな卒業していくのに自分だけ留年して、自分の夢や、志望する業種に再挑戦することの方が、大変で苦しいと思うが、そこは歯を食いしばって留年したほうがいい。私は、留年できる大学こそ、一流大学だと思っている。ただし、評価できるのは戦略的留年だけである。怠惰であるが故の留年は、途中で本人が悟ればよいが、ほとんどは転落へつながっていく。「覚醒」し「自己嫌悪」に陥り、そこから戦略を練ることが大事である。

12、就職は、人間が市場で値踏みされるようなもの。それまでのキャリアや実績、学位や活動、人柄、コミュニケーション能力、マネジメント能力などで、その人物の評価が決められる。資本主義、至上主義だからしょうがない。

13、仕事は、メシを食っていくためのものであるが、なるだけなら自分のやりたいことと一致することが望ましい。大人になって、家族のために自分が好きでもない仕事をやっている人はたくさんいる。それが仕事というもの。でも、まだ君たちには努力すれば手に入るものがある。自分のやりたいことを仕事にできる可能性がある。それを見つけて、納得して就職してほしい。

14、就職して、まちがったと思っても努力するのは当然で、それは今回書いた就職の話とは違う。それは、就職してからの話。そのときの乗越え方は、また別の機会に書きましょう。

投稿者 matsuno : 22:39

2007年01月21日

留年か就職か① (再掲載)

2005-01-24 に書いた記事ですが、参考になると思いますので、再掲載します。2回連載。
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留年か就職か①
この時期になると、卒業を目前にして、迷う学生が出てくる。
それは、志望したところではないが内定しているところに就職するべきか、留年して再度、就職活動すべきか、というジレンマに陥るからである。

私は学生には、ずばり、こういうことにしている。

「自分で納得できないで一か八かで就職しようとしているときは、留年して捲土重来を期せ」と。
(あるいは、これから間に合う大学院に進学する手もある。)

留年できる大学こそ一流大学。(一部の大学、特に女子大は、とにかく学生を追い出すというか、プーでも卒業しなければならない雰囲気が充満している)

大学というのは、最後のジャンプ台である。
そこで不十分な踏み切りしかできないと、必ず失速する。
自分の心にけじめをつけられないと、それを引きずってしまう。
会社に入れば、そこは軍隊組織だから、必ず迷いが出てくる。
そして我慢できなくなって、「俺はこんなことをするために生まれてきたんじゃない」と辞めてしまう。
しかし、そのときには「新卒」のカードは、もう無い。

今留年すれば、もうすぐに就職活動ができる。
やはり、自分で納得するまで活動してみることが大事。
皆同級生が卒業していくので、寂しくて苦しいのはわかる。確かに寂しい。
でも、そこで食いしばらなきゃいかん。
たった1年の遅れは、社会に出ればあっという間に取り戻せる。
自分が好きでもない会社に入ると、すぐに矛盾が出てくる。
その矛盾を抱えて仕事するのは、とても苦しい。そうしているうちに、また就職活動シーズンがやってきて、留年すればよかったと後悔するのだ。
一回辞めると、健康保険、厚生年金のことはあるし、日本みたいな硬直した雇用システムだと、なかなか良いところに転職できないから大変。だから、大学からジャンプする時が一番大事だね。

自分が希望する会社に内定しなかった場合は、大学院に行くか、留年するか、さっさと踏ん切りをつけたほうがいい。そこでさらに自分に磨きをかけて、再挑戦することが大事。

世間体や授業料、さらには恋人との関係、また親からの要請、同級生の卒業など、留年は辛いことが多い。でも、1年の苦労は、あとで数十倍の果実となって戻ってくる。
就職は、一か八かでやらないことだ。

私の研究室は、「留年ゼミ」なるものを作っている。
みんな心細いから、みんなで励ましあって、苦しい時を乗り切ろうという考えだ。

ゼミ生には、みんなが希望するところに内定してもらいたいけど、世間はそう甘くない。
市場で売れる人間は、やはり決まっている。プレゼンが上手な学生は、たくさん内定が取れる。しかし、プレゼンが下手な学生はもう真っ暗。落ちるたびに、人格を否定された気になる。

就職活動は、大学生にとって、それまでで最大の危機。
自分が大学時代にやってきたことに自信をもって、ドーンとやってほしい。

1、危険は分散する→受けまくる
2、事前準備は怠らない
3、自分がやって来たことに自信をもつ
4、無理をしないで自分の良いところを見つける→「地味で真面目」で十分

以上、自戒をこめて書きました。

投稿者 matsuno : 21:38