« 東国原知事の記者会見問題について考える | メイン | 移転します。 »

2009年07月01日

自然の中で蘇る生命感

2009年飛騨高山ドキュメンタリー映画祭で、審査員特別賞を受賞した作品「今、蘇る」を、再びゼミで視聴した。

この作品の監督は、ゼミのOG(現在、東京芸大大学院生)。彼女がゼミ活動の一環で制作したものだ。当時は、1人1ドキュメンタリーを制作するというのを課題にしていたのだが、1作目で力作を完成させた。

この作品は、あるサラリーマンの挫折と再生を描いたものである。
学校卒業後に社会にでて世間のスピードと市場原理に飲み込まれ、無味乾燥な日々の中でもがき苦しむ。そして、音楽だけを生きがいに池袋で路上ライブをやりながら、なんとか生きていた。しかし、最後は疲れきって挫折する。

そんな彼を故郷・昭島に連れ戻し、自然の中においたのは父親だった。
草刈りのときのにおい、そして小川に足をつけたときの感動。
サラリーマン生活の中で喪失していた生命感を、彼は昭島の自然の中で少しずつ取り戻していく。

そして、父親が取り組んでいる昭島ホタルの保護と育成事業に、自らもギター片手に取り組み始める。
彼は、人間らしい生活を昭島の大地の上で、もういちど築いていこうとする。
その一連の彼の姿を描いたのが、この作品である。

私は制作者にけっこう厳しい指導をした記憶がある。
それはなぜかというと、真っ向から対象者と向き合わず、ほとんどをナレーションで説明しようとしていたからだ。

ドキュメンタリーの面白さというのは、その対象に肉薄し、その生き様や哲学や、本人も気づかなかった本音を引き出すところにある。その真剣勝負のプロセスの部分では、長い説明などは要らないのである。

そこを結構厳しく言った。結局、制作者は一度泣いた。

しかし、制作者の能力とセンスは、そこから爆発的に育ち発揮されたように思う。
そして、取材対象者に、サラリーマン時代に路上ライブをやった池袋にいっしょに行ってもらい、当時の心情について語ってもらった。さらに、昭島の川に行って水の中に足を突っ込んでもらい、本音でインタビューを撮らせてもらった。

彼は池袋の地下道で昔を思い出し泣き、そして昭島の川にざぶざぶつかって笑顔を見せた。
そのリアルな表情を映像はあますところなく素直に描ききった。

だから、この作品は、サラリーマンが見ると泣くのかもしれない。
誰でも、日常の仕事の中で、少なからず無味乾燥さを覚えるから、共感するところは大きい。
きっと、「大手町-新橋-汐留」のサラリーマンゾーンで上映すれば、号泣者続出かもしれない。

ドキュメンタリーのディレクターの能力とセンスは、当事者に再度現場に行ってもらい、再度当時の状況を語ってもらうことができるかどうかに、ある部分はかかっていると言っても過言ではない。これは、私が「報道特集」で番組を制作していたときにも、強く感じたことだ。

その点でいうと、この作品の制作者は、その能力が潜在的にあったのだろう。少なくとも、対象者が嫌がらずに協力してくれるようなオーラをもっていることは確かだ。

この作品の制作者は、この1作目につづいて、こんどはミャンマーで医療活動を続ける日本人医師を対象にしてドキュメンタリーを制作した。この作品「いのち輝くとき-歴史に生きる日本人医師-」はたくさんの賞を受賞した。

その後、彼女は東京芸大大学院に進み、現在、卒業制作の映画をプロデュースしている。

教員としては、ゼミ生の才能を発見し、それをすこしでも開花させられたときほど、感動を覚えることはない。

投稿者 matsuno : 2009年07月01日 23:27