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2008年06月24日
知性だけでなく、身体と生命も・・・。
「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」内山節 講談社現代新書 720円
昔と言っても、1950年代から60年代初めのころの話だ。私はまだ小学校に通う前だったが、いろんな大人から、キツネやタヌキにだまされた話を聞いた。幼稚園に通う身であった私は、その話を信じて、夜道は怖いというイメージを持ってしまった。
自宅から幼稚園に通う道は、一直線に伸び、小川が傍を流れ、草木は青々としていた。
道はまだ舗装されておらず、土のままだった。荷物を運搬する牛や馬が引く車も頻繁に往来していた。
フナは、手でつかみ取れるぐらいたくさんいたし、ヘビが川を泳ぐ姿は何度も目撃した。雨の日は、道をヘビが覆っていたこともあった。でも、そんな自然にあふれていた故郷が、大好きだった。草むらや森を走りまくり、いろんな遊びをした記憶がある。
祖父の家は、母屋と厠(トイレ)が離れていた。夜中に厠に行くときは、庭を通り越していかなければならなかった。まだ小学校に入る前だったから、夜中に1人で庭を歩いて厠に行くのは怖かった。でも、星の明かりは、とても明るいことに気づいた。星明りで、庭の土が輝いていたことを覚えている。
祖父が死んだときは、土葬だった。木の桶に入れられた祖父を、村人が穴の中におろし、みんなで最後の別れをした。そして、一気に土を落としたことを、つい昨日のことのように覚えている。
そういう環境の中で、キツネやタヌキにだまされることがあるという話は、真実味のある話だった。
しかし、1965年を境に、キツネやタヌキにだまされるという話が、消失していった。その原因について、この本は、ある説を展開している。
この本は、生物学、動物学の本ではない。民俗学や宗教学の本でもない。
この本は、歴史哲学、厳密に言えば、哲学の本だと言った方が良いだろう。
「1965年頃を境にして、身体性や生命性と結びついてとらえられてきた歴史が衰弱した。その結果、知性によってとらえられた歴史だけが肥大化した。広大な歴史がみえない歴史になっていった」というのが、筆者の考察である。
知性だけではとらえられないものがある。身体性や生命性を大事にして、自然の中にある自分の存在を見つめなおすことを改めて決意させる良書である。
投稿者 matsuno : 2008年06月24日 23:42