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2007年07月09日

「孤独から逃亡する者に成長なし」-気疲れの日常の原因を探る

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クリエイティブになるには、情報を遮断することが大事であるということは、いろんな人が言っていることである。コシノジュンコさんも、スティーブン・キングもそうだ。

大学に通っていると、会社にいるときよりも処理しなければいけない情報がたくさんありすぎる。会社より大学の方が時間にゆとりがあり知的作業ができると思っていたが、とんでもない間違いだった。

その処理しなければいけない情報というのは、「気疲れ」。学生が、自分でものを思考できないので、いろいろ教えてあげなければいけないということ。最近の学生は、ここまで子どもになったのかと・・・。自分で考える努力をしない。

自分の学生時代を振り返っても、「自分の道は自分で切り開く」という強い意思があった。だから、一生懸命に考えた。私の周囲も、みなそうだった。日常的に議論しあっていた。天下国家についても、青い議論を重ねていた。教授と話をする時も、事前にかなりの準備をしていったものだ。

しかし、現在の学生は大違いだ。実習、研究計画、構成、カンパケ、就職活動まで、すべて面倒みてやらなければいけないというこの現実には、本当に疲れる。私にとって「処理しなければいけない過多な情報」とは、こうした自分の力で解決できない学生の悩みを引き受けて、それを解決しなければいけないということだ。

あまりにも、「思考をやめた学生」が多い。文章も極めて稚拙なものを書く。小学生が書いたのだろうかというものもある。就職活動前なのに、語彙力も漢字力も不足している。絶望的な気持ちにもなる。

決められた仕事をきちんとこなすことはできても、そこから少し離れた複雑な課題となると、なかなかできない。ある意味、「線形」な思考はできるが、「非線形」なものは苦手というのが現状である。
(「リニア」編集はできるが「ノンリニア」編集は不得意ということか・・・?)

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言葉を変えれば、いろいろな事象から一般化できない。複雑な事象を図式化したり、単純なモデルを想定してみて、よりわかりやすく一般化するという能力が育っていない。意味のないもの、必要のないものは、どんどん捨て、重要なものを抽出する訓練をしなければならない。

高校までの教育はどうなっているのだろうか?皆と同じであればいい、学校のいいなりにやっていればよい、という教育を受けてきたからだろうか。それとも、危機感や自意識が足らないのだろうか。情報を必要なものだけに刈り込んでいく、そして、他者との相互作用をこなして、自分を確かなものにしていくという作業を行うことが必要だ。

それを阻害しているものは何だろうか。どーも、それが過剰なmixiへの依存だったり、ケータイ依存だったりするような気がする。自分だけにカスタマイズされた空間、他者からの返答への期待が、自分でものを考えるという力を低下させているような気がする。

そして、若者が「孤独」ときちんと対峙しなくなったことが問題の中心にあると思っている。いつでも、誰とでもケータイでつながることができ、メールでやりとりでき、mixiでやりとりをする。「孤独」とちゃんと向き合って、自分の存在について考えない。というよりも、そこから逃げている。「孤独」になって、自分でものを考えることが怖いのかもしれない。

しかし、「孤独」から逃亡する者は、成長しない。

それに、友人と面と向かって激論しあうという習慣は、どこに行ったのだろうか。本を読むという作業は、今の大学生には高等すぎるのだろうか。面倒だし、孤独な作業であるから避けたいのだろうか。ならば、映画やドキュメンタリーを見て議論するというのでもいい。とにかく、自分で感じて、考えて、それを他者と議論する。そしてまた考えるということを少しでもいいからやってほしいものだ。

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最新の脳に関する理論によれば、人間はあふれかえる情報を感知し、そこから一般化をはかり、そこから自分の体と環境との相互作用で自分というものを据え置き、それで環境に働きかけて、自分の世界を広げていくというプロセスを展開しているそうである。「私」が働きかけた環境の変化をさらに感知し、そこからまた一般化を繰り返すというサイクルを想定できるという。

そこから考えると、余りにも処理しなければいけない情報は、刈り込む必要がある。そうしないと、正常な日常行動へのプロセスである一般化ができずにパニックを起こす可能性があるという。

現状の自分からすれば、いささか、処理しなければいけない情報が過多であるということであろう。学生も、すこしは独り立ちしてくれないと困るとつくづく思う。社会に出て、本当にやっていけるのだろうかと不安に思う。いや、私が心配することなく、さっさと、社会に任せたほうが良いのかもしれない。

自分で情報を処理して、自分でものを考えて、自分で行動してみる。そして、また行動の結果の情報を集めて分析し、さらに思考して、行動する。このサイクルを身に付けて欲しいものだ。

投稿者 matsuno : 2007年07月09日 00:38