« 2007年06月 | メイン | 2007年08月 »

2007年07月29日

2007年 若狭高浜の夏

P1000933.JPG

海に向かう道。夏らしい花が咲いていた。

P1000989.JPG

高浜漁港の夕暮れ。水面が美しい。


P1000953.JPG

漁港だから、トンビも多い。

P1000947.JPG
水は、透き通っている。

P1010077.JPG
熱気球は、昼も美しいが、夜も美しい。

P1010136.JPG
そして、若狭高浜の「漁火想」の最後は、水中花火。今年で5回目。いつ見ても迫力ある。

投稿者 matsuno : 22:34

2007年07月21日

私の「美しい国」

私はこれまで数十カ国で取材活動を行って来たが、一番驚いたのは、日本を尊敬している人が想像以上に多いということだ。

特に、我々の日常生活の中で、あまり縁のない中東、アフリカ、中南米、東欧の人々は、多くの人が日本を尊敬している。

あるブラジル人は「日本はミラクルカントリー」だといい、あるチェコ人は「電化製品は世界一」だといい、「あるキューバ人は「イチ(座頭市)を生んだ国」だと、握手を求めてきた。彼らに共通しているのは、日本が敗北の中から立ち上がり平和主義を貫いて経済発展を成し遂げてきたという事実を評価していることだ。

日本ではフツーの存在である、トヨタ、ニッサン、ホンダ、キャノン、ニコン、ソニー、パナソニック。これらは、世界中どこへ行っても看板があるし、誰でも知っている。それが日本の企業であることも、もちろん知っている。そして、それらの製品が、世界で一番故障が少なく信頼されているということも。

だから私はいつも、外国で取材を終えて帰国すると、改めて日本という国に感心しなおす。そしてそれと同時に、几帳面で勤勉な日本人を尊敬し直すのである。

米国で暮らしていたとき、あまりに停電と電話の断線が多いので辟易した。さらに、ホテルの予約間違い、他人の電話代の請求、電車のダイヤの乱れなど、ひどいものがあった。米国の労働力の質の悪さには、ほんとうにあきれる。「カスタマーサービス」が繁盛するのもよくわかる。

それに一部を除いて、学生の学力も、態度もたいしたことはない。一部のエリートが国を動かしているということが良くわかる。

(ただし、学生の必死さは日本とは比べ物にならない。それは、「知=パワー=社会的階層」の関係があり、死活問題に直結するからだ)

中南米取材で、気付いたことがある。
それは、彼らが握手を求めてくる時、彼らの態度は、白人に対するものと同じではなく、同じ有色人種として親近感があふれているということだ。同じ有色人種なのに、ここまで頑張っているのは素晴らしいという意味があると感じた。つまり、彼らは我々日本人を同じ同僚、同じ人種と感じ、愛着を持っているのだ。

そして、「座頭市」というシリーズ映画が中南米で果たした影響も大きい。「強きをくじき弱きを助ける座頭市」は、貧しい中南米の人々、特にキューバ人には人気だった。それが日本人への親近感を少なからず醸成したことは間違いないだろう。

日本人が評価されている点は、工業製品だけではない。人柄もそうだ。それは、「座頭市」が果たした役割だけではない。世界中で働く日本人の姿、態度が、現地の人の評価を高めているのだろうと思う。

バングラデシュ・ダッカでの取材の際、取材拠点としていたホテルで毎日、タクシーをチャーターしていた。

そのとき、タクシーの運転手が、こう言っていた。
「俺は以前、米国大使館に運転手として勤務していたが、米国人は口笛で俺たちを呼ぶ。でも、俺は、犬じゃない。それに対して、日本人は口笛で呼ぶようなことはしない。人間として、同僚のように扱ってくれる。日本人は素晴らしい」と。

几帳面でまじめに働き、礼儀正しい日本人。
どんな人種にも対等に接する日本人。
大戦の痛手から平和主義を貫き、奇跡的な経済復興をなし遂げた日本人。
そして、白人ではない日本人。

もちろん、尊敬ばかりではない。歴史的に深い傷をアジア各国に与えたことは事実だ。
そして、経済発展の過程で、様々な問題を日本企業が引き起こしたことも事実だ。

しかし、取材を通して知ったのは、個々の日本人は基本的にまじめでよく働くこと。現地の人にも家族的に接するということだ。戦後一貫してはぐくまれた日本人への印象が、彼らの尊敬と握手につながっているのだろうと思う。

学生時代、私は日本という国があまり好きではなかった。
しかし、ジャーナリストとして外国で取材を続ける中で、少しずつ日本が好きになった。
それは、戦後、どの国にも侵略せず平和主義を貫いてまじめに働いて来たという事実、そして、いろんな便利なものを発明し、それが世界中の人々を幸せにして来た事実が、外国人から高く評価されているということを知ったからだ。

最近では「クール・ジャパン」と言われている。

私の愛国心は、世界中を回って、自分なりに自分の心の中に築いたものだ。だから、総理大臣や政府や軍から、強制されたくない。

私にとっての「美しい国」は、私の心の中にある。

(松野良一 記)

投稿者 matsuno : 00:11

2007年07月10日

日本海の夏、高浜の夏

ナイヤガラ.JPG

日本海側にある若狭高浜の「漁火想」。
前夜祭で行われたナイヤガラ花火(2005年7月に撮影)。

名物の「水中花火」とは、一味違う美しさがある。

今月最後の土日は、いよいよ「漁火想」だ。
晴れると、また美しい花火を見ることができる。

「漁火想」プロジェクトは2003年から始まっているので、今年で5年目だ。
日本海側の小さな町が、一番輝く時かもしれない。
忘れていた日本らしい日本を感じることができる場所だ。

投稿者 matsuno : 00:06

2007年07月09日

「孤独から逃亡する者に成長なし」-気疲れの日常の原因を探る

DVC00011.JPG

クリエイティブになるには、情報を遮断することが大事であるということは、いろんな人が言っていることである。コシノジュンコさんも、スティーブン・キングもそうだ。

大学に通っていると、会社にいるときよりも処理しなければいけない情報がたくさんありすぎる。会社より大学の方が時間にゆとりがあり知的作業ができると思っていたが、とんでもない間違いだった。

その処理しなければいけない情報というのは、「気疲れ」。学生が、自分でものを思考できないので、いろいろ教えてあげなければいけないということ。最近の学生は、ここまで子どもになったのかと・・・。自分で考える努力をしない。

自分の学生時代を振り返っても、「自分の道は自分で切り開く」という強い意思があった。だから、一生懸命に考えた。私の周囲も、みなそうだった。日常的に議論しあっていた。天下国家についても、青い議論を重ねていた。教授と話をする時も、事前にかなりの準備をしていったものだ。

しかし、現在の学生は大違いだ。実習、研究計画、構成、カンパケ、就職活動まで、すべて面倒みてやらなければいけないというこの現実には、本当に疲れる。私にとって「処理しなければいけない過多な情報」とは、こうした自分の力で解決できない学生の悩みを引き受けて、それを解決しなければいけないということだ。

あまりにも、「思考をやめた学生」が多い。文章も極めて稚拙なものを書く。小学生が書いたのだろうかというものもある。就職活動前なのに、語彙力も漢字力も不足している。絶望的な気持ちにもなる。

決められた仕事をきちんとこなすことはできても、そこから少し離れた複雑な課題となると、なかなかできない。ある意味、「線形」な思考はできるが、「非線形」なものは苦手というのが現状である。
(「リニア」編集はできるが「ノンリニア」編集は不得意ということか・・・?)

DVC00013.JPG

言葉を変えれば、いろいろな事象から一般化できない。複雑な事象を図式化したり、単純なモデルを想定してみて、よりわかりやすく一般化するという能力が育っていない。意味のないもの、必要のないものは、どんどん捨て、重要なものを抽出する訓練をしなければならない。

高校までの教育はどうなっているのだろうか?皆と同じであればいい、学校のいいなりにやっていればよい、という教育を受けてきたからだろうか。それとも、危機感や自意識が足らないのだろうか。情報を必要なものだけに刈り込んでいく、そして、他者との相互作用をこなして、自分を確かなものにしていくという作業を行うことが必要だ。

それを阻害しているものは何だろうか。どーも、それが過剰なmixiへの依存だったり、ケータイ依存だったりするような気がする。自分だけにカスタマイズされた空間、他者からの返答への期待が、自分でものを考えるという力を低下させているような気がする。

そして、若者が「孤独」ときちんと対峙しなくなったことが問題の中心にあると思っている。いつでも、誰とでもケータイでつながることができ、メールでやりとりでき、mixiでやりとりをする。「孤独」とちゃんと向き合って、自分の存在について考えない。というよりも、そこから逃げている。「孤独」になって、自分でものを考えることが怖いのかもしれない。

しかし、「孤独」から逃亡する者は、成長しない。

それに、友人と面と向かって激論しあうという習慣は、どこに行ったのだろうか。本を読むという作業は、今の大学生には高等すぎるのだろうか。面倒だし、孤独な作業であるから避けたいのだろうか。ならば、映画やドキュメンタリーを見て議論するというのでもいい。とにかく、自分で感じて、考えて、それを他者と議論する。そしてまた考えるということを少しでもいいからやってほしいものだ。

モアイ.JPG

最新の脳に関する理論によれば、人間はあふれかえる情報を感知し、そこから一般化をはかり、そこから自分の体と環境との相互作用で自分というものを据え置き、それで環境に働きかけて、自分の世界を広げていくというプロセスを展開しているそうである。「私」が働きかけた環境の変化をさらに感知し、そこからまた一般化を繰り返すというサイクルを想定できるという。

そこから考えると、余りにも処理しなければいけない情報は、刈り込む必要がある。そうしないと、正常な日常行動へのプロセスである一般化ができずにパニックを起こす可能性があるという。

現状の自分からすれば、いささか、処理しなければいけない情報が過多であるということであろう。学生も、すこしは独り立ちしてくれないと困るとつくづく思う。社会に出て、本当にやっていけるのだろうかと不安に思う。いや、私が心配することなく、さっさと、社会に任せたほうが良いのかもしれない。

自分で情報を処理して、自分でものを考えて、自分で行動してみる。そして、また行動の結果の情報を集めて分析し、さらに思考して、行動する。このサイクルを身に付けて欲しいものだ。

投稿者 matsuno : 00:38

2007年07月06日

そろそろ、沖縄か

最近、このブログを更新してないことを、「ゼミのアライグマ氏」に指摘されたので、気軽に更新!

無題.JPG

このところ、雑用に追われまくり、なかなか休息できない。
そろそろ、東京脱出を図りたいところである。

2.JPG

沖縄というところの風景は、何気ないものでも、「絵」になる。

3.JPG

そろそろですか・・・。

投稿者 matsuno : 00:07