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2007年05月02日

教職に向いている学生(「新聞ブログ」秘話③)

今回の沖縄における「新聞ブログ」プロジェクトで、もう1つ、わかったことがある。それは、教職に向いている者と向いていない者の違いである。

北谷町のプロジェクトに参加していたゼミ生に、担任の先生が声をかけた。「君たち、子どもたちの扱いがうまいねー。先生に向いているよ。教職とっているの」。しかし、残念ながら、ゼミ生たちは教職をとっていない。

担任の先生の話では、教職に向いているのは、知識があるだけではなく、子どもたちの関心をひき、騒いでいてもピタリと黙らせ、指示をきかせることができるカリスマ的能力を持っていること。そして、それでいて、子どもたちから好かれることだという。

ゼミ生たちは、多摩探検隊、子ども放送局などの厳しいゼミ活動で鍛えられていることもあり、子どもたちをまとめていくことに苦労はなく楽しかったようだ。しかし、そういうプロジェクトを日常的にこなしていない普通の学生が、実際の小学校で6年生たちを指導して「新聞ブログ」を作らせるのは大変であろう。児童が言うことを聞かなくなり、学級崩壊してしまうかもしれない。

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昭島子ども放送局でも、校長先生がこういうことを話されていた。「最初、どんなかなと思ってみていたんですが、実際に学生さんが子どもたちを指導する雰囲気、態度を見て、ああ、これなら任せられると判断したんですよ」と。

つまり、我々は、児童を指導できるかどうかの能力、教職としての適性をチェックされていたわけだ。うーん、さすが校長先生である。

つまり、教員に最も必要されるのは、学科もさることながら、その人間性、リーダーシップ、マネジメント能力などであるということだ。現在のままの教職課程、教員採用試験では、学科だけできる者が受かりやすい。学科だけできても、実際の教室にはいったら、不適応を起こしてしまう教員が出てくるだろう。

教職課程、教員採用試験についてはいろいろ工夫がされてきているが、さらに実践的な形に変えていく必要があるだろう。

さて、改めて教職について考えると、昔は、大学生はかなり多くのものが教職の単位を取っていたように記憶している。ところが、最近の学生は教職の単位を取らないのだ。なぜか。とても単位数が多くて教育実習、介護実習もあり、遊ぶヒマがなくなるからかもしれない。

しかし、個人的に思うには、ドブネズミ的サラリーマン生活をするよりは、教職の方がずっと人間的でよいのではと思う。人間を相手にできることは、利益という数字を相手にするよりは、ずっと価値があるような気がする。

ゼミ生の多くは、教職には目もくれずに企業へ就職していく。学校というこれまでいた場所よりも、企業にはもっと広い世界があると思っているのかもしれない。しかし、企業社会に入ったゼミ生の中にはきっと、大学時代に小中学校でやったプロジェクトの方が楽しかったと思う者が出てくるはずだ。

団塊の世代がどっと教職からリタイアする時代。もういちど自分の適性と進路を考え、教育職を目指す学生が出てきても良いのではないかと思う。

ただし、最後に断っておくが、教職としての適性と能力があればの話である。

投稿者 matsuno : 2007年05月02日 00:19