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2007年04月25日

作文が好きになる方法(「新聞ブログ」秘話①)

シックスアパート社と共同開発した「新聞ブログ」の運用実験を沖縄県内の2つの小学校でおこなった。

http://www.matsuno-lab.com/newspaper/

P1000577.JPG

その結果、いろんなことがわかった。

1つは、作文がみな嫌いだけど、この「新聞ブログ」を使うと最後は好きになるということである。そんなことがあるのか、と疑問に思われるかもしれないが、本当である。私もびっくりした。

小学校で、原稿用紙を配られて、先生から「作文を書きなさい」と言われると憂鬱だった。作文が好きな子なんて、クラスで国語の好きな女の子が1,2人いるぐらいだった。そもそも、作文の指導にあたっては、「独創的な視点で」とか「感動的な表現」というのが基準にあるらしい。そんなもの、教諭でも書ける人少ないのではないかと思う。

小学校の作文の時間に、書くことがなくて「作文はなぜ嫌いか」を書く児童はクラスに数人はいるらしい。自分の小学校時代を振り返ってみても、「作文嫌い」そのものを題にして作文を書いて先生に怒られていた奴がいたことを記憶している。

今回も、沖縄の北谷町立浜川小学校で「作文嫌いな人は?」と聞いたら、みんな手をあげてしまった。しかし、このプロジェクトが終了し、下校前に「作文好きになった人?」と聞くと、皆手をあげていた。なぜだろうか。

実は私も、その答は、運用実験をやっていて、途中で気付いたのだ。まさに、目からうろこだった。

最初に、この「新聞ブログ」を動かすために、記事の書き方を教えた。新聞記事の基本は、5W1Hである。いつ、どこで、だれが、何を、どのようにどうした(どうなった)、なぜ。

これを教えるのに、ある手法を使った。それは、あるゼミ生を生け贄にして、小学生たちから質問攻めにしたのである。というと聞こえが悪いので、小学生を記者にして、このゼミ生にインタビューを行い、「人物像」を描きださせたということにしておく。

質問は、いろいろ出た。「何歳」「どこから来た」「なぜ来た」「どこに住んでいる」「好きな食べ物は」「沖縄は何回目」「沖縄の好きなところは」など。出色なのは、「なぜ東大に行かなかったんですか?」(行けなかったのですか、の間違いだろうが・・)。

ばらばらに出された答を、5W1Hに並べ変えていくと、不思議にも、新聞の文章になっていく。それも、すらすらと書けていくのである。つまり、書く材料がふんだんにあるので、その材料をうまく文章として料理していけるのである。ばらばらの材料である「情報」を、いろいろ料理して「文章」という形にしていくのである。材料が一杯あるから、400字ぐらいは、あっという間に埋まってしまう。児童たちが、あまりに書きすぎるので、カットする方が大変だった。

事実関係を書き、そして、自分の感想をつけていく。記事だけど、よく読むと、作文になっている。驚いた。

「新聞ブログ」は、トップニュースが400字なので、取材という作業を行うことによって、あっという間に記事を書くことができるのである。

自分たちが持っている「もっと知りたい」という欲求を、質問、インタビューという形でぶつけ、相手から答を引き出すという取材行為は、小学生たちにはとても新鮮で、とても楽しかったみたいだった。そういう経験はあまりないみたいだ。

つまり、現在の国語教育は、文章読解が主である。取材するという能動的な行為を踏まえて材料を集め、それを執筆していくというジャーナリズムの本格的な体験は、やられていない。本当は、これが、児童の内発的動機づけには極めて効果があると思う。

さて、もう1つ、彼らのモチベーションを上げたのは、ブログというツールの面白さである。書き上げた文章をテンプレートに打ち込む。そして、撮影してきた写真をアップロードする。最後に「保存」のボタンを押す。そうすると、一瞬にしてWeb上に自分たちの書いた記事が新聞風のレイアウトで登場するのである。自分たちの取材活動、執筆活動という努力の成果が、目に見える形でWeb上にアップされるのである。

努力の成果のフィードバックがタイムラグなしでなされると、教育効果が大きくなるのは言うまでもない。そして、Web上だけでなく、印刷するとA3版の新聞になる。印刷された自分の記事と写真。それは、小学生たちには、かけがえのないものになったにちがいない。

今回は、小学校の隣りにあるそば屋とケーキ屋に取材に行ったが、そば屋の親父さん、ケーキ屋の親父さんも快く取材に答えてくれたらしい。そして、やはり児童たちの質問攻めにあったようだ。子どもたちの好奇心あふれる笑顔が想像できる。文章も、書きすぎて削られていた。それだけ、取材という行為は、作文というものへの抵抗感を減少させるだけでなく、文章を書くという行為の面白さにつながっていくのだろうと思った。

私も新聞記者であったが、どんなに苦しくても、楽しかった。それは、記事を書いた翌日には、新聞紙に自分の記事が掲載され、それをしっかりと自分の目で確かめることができるからである。

投稿者 matsuno : 2007年04月25日 21:26