« 選挙カー | メイン | 作文が好きになる方法(「新聞ブログ」秘話①) »
2007年04月17日
東国原知事の記者会見問題について考える
宮崎県の東国原知事が、「記者会見は定期的にやる必要があるのか。何かあったときだけでいいじゃないか。県民のために時間を使いたい」という発言をして、記者団ともめる一幕があった。
この問題は、いろいろな意味を持っているので書き留めておく。1つは、東国原知事の認識不足の問題。もう1つは、記者は本当に職業倫理を持って、県民の「知る権利」にこたえているのか、という問題。
知事の言い分は、県民のために、という言葉があるので、一見もっともらしいのであるが、実は「記者会見は本来は、県民のため、納税者のため、国民のためにあるのだ」ということを忘れているのではないだろうか。
インターネットの時代、市民メディアの時代になったとはいえ、権力側に接触できるのはマスコミしかない。そもそも、名もなき市民、県民が、知事に面と向かって質問を浴びせたり、インタビューしたり、疑惑を追及できるとは、現時点では思えない。そうなると、まだまだ取材を職業としている記者の力は必要である。
だから、知事が定期的に記者会見を開いて、情報を公開し、さらに記者団からの質問に答えるということは、最終的には県民の「知る権利」にこたえるということにつながる。もし、「何かあった場合に記者会見すればいいでしょう」ということになれば、都合が悪い時、隠したい話題の時には、記者会見を開かないということになりかねない。定例記者会見は、ある意味、権力者と「知る権利」にこたえる使命を持った記者団とのせめぎあいの場所でもあるわけだ。
しかし、ここで問題なのは、記者団は本当に市民、県民、国民のために、「知る権利」にこたえるために、ジャーナリストとしての職業倫理に基づいて仕事をしているのか、ということである。逆に、新聞社、テレビ局の私企業的利益、あるいは個人的利益を優先させ、県民のことを忘れていることはないだろうかということである。
スクープ合戦は、プラスに働くこともあるが、マイナス面も大きい。ただ、他社を出し抜くことだけで満足し、肝心の県民のためにという意識は失われていないだろうか。
また、記者会見に漫然と出席し、ありきたりの質問をし、ありきたりのやりとりだけで、記者が満足していないだろうか。
さらに、「記者クラブ制度」に基づいた既得権にアグラをかき、偉そうな態度で取材してないだろうか。フリーの記者や外国人ジャーナリストに対し、排他的な態度を取っていないだろうか。
東国原知事の発言は、不必要な記者団の反感を買ったように思える。しかし、「記者が本当に県民の立場に立って、ジャーナリストとしての職業倫理をもって仕事しているのか」、という問いかけのようにも聞こえた。
記者は、一体、誰のために仕事をしているのか。単発的なスクープ合戦だけでなく、もっと深みのある熟成した記事を書いて欲しい。
自分の記者経験を自省しながら、書き留めておく。
(松野良一記)
投稿者 matsuno : 2007年04月17日 13:17