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2007年03月27日

ベネディクト・アンダーソン

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あの「想像の共同体」の著者が、慶応大学で講演をするというので、出かけていった。

一番印象的だったのは、デジタルメディアとナショナリズムとの関係である。彼は、インターネットの時代に、情報を個人がカスタマイズできるようになり、自分の気に入った情報にしか接しないようになったと語った。これは、キャス・サスティーンの指摘と同じ。

アンダーソンの指摘が面白かったのは、やはり、ナショナリズムとの関係であった。つまり、これまでは、移民は市民権を得た国に少なからず染まっていくものであったが、現在では、インターネットがあるため、アイデンティティを祖国に持ち続けるのではないかという指摘である。つまり、アイデンティティをPCの中に入れて持ち運んでいるのではないかというのだ。

彼は、これを「ポータブル・ナショナリズム」と読んでいた。

私も米国に住んでいた時に、よく日本の食材屋に行き、ついでに日本語の本を買い、ビデオを借りていた。しかし、それでも米国文化との接触時間の方が、圧倒的に長かった。しかし、現代においては、インターネットがもっている力は大きく、アイデンティティを祖国にもち、PCさえあればそれを持続できるようになった。

インターネットによってフラットな世界になったと指摘したのは、フリードマンだが、それは「言語」によってボーダーレス化が始まったということである。逆にいうと、英語圏、スペイン語圏、中国語圏という「言語」によって、まったくあたらしい空間が誕生し、国境を越え始めたということだろう。「言語圏」による新しいナショナリズムが生まれることにつながるのだろうか。

そういう意味で言えば、日本は孤立化が進むのかもしれない。

良い講演会だった。満足。

投稿者 matsuno : 12:45

2007年03月21日

君たちの将来に幸多からん事を祈る。

FLPゼミ2期生の追い出しコンパがおこなわれた。
就職活動中の3期生に代わって、4期生(2年生)が、仕切った。

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私は、そもそも学生を送り出すようなイベントで、これまでウルウル来たことはなかった。ましてや泣くようなことは全くなかった。

本当に手のかかる昨今の学生の将来を心配して、いろいろ面倒見ざるをえないので、やっと就職内定して卒業していくのかあ、とホッとした気持ちで一杯になるのが常だった。

しかし、今回の追コンだけは、不覚にも私も最後のあいさつで、声を詰まらせてしまった。

他の学生の嗚咽にも似た泣き声のBGMが、かなり効いていたのかもしれない。いろんな人が送ってくれた電報が心を打ったのかもしれない。

ただ、はっきり言えるのは、大学の教員になって本当に良かったということである。これから社会へ飛び出していく若者たちが、ゼミで学び何かを得たと言ってくれることほどうれしいことはない。

東大を落ちて失望のまま入学し、たままた叩いた門が、このゼミだったと語った学生は、4月から新聞記者として羽ばたく。

司法試験を目指していた学生は、このゼミに入ったおかげで、「法曹から放送」へと華麗なる(?)転身を図ってしまった。いつかテレビで、彼がリポートしている姿を見ることになるだろう。

他にも、ここには書ききれないほどの様々な物語がゼミで展開された。彼らに、すこしでも生きる力を与え、仕事の面白さを伝えることができたのなら、私は幸せである。

そして、気付いたことがもう1つある。それは、彼らにとって、ゼミ活動というのは学校だけではなかったということだ。私が知らないところで、先輩が後輩の面倒をいろいろ見ていた。だから、後輩たちが嗚咽状態になっていたのだ。

中央大学は、都心から八王子に全面移転するという大きな失敗をしてしまったが、6学部をつないだFLPというゼミを作ったことだけは、正解だったのではないかと思う。

卒業していくゼミ生の皆さんの将来に幸多からんことを祈ります。また、会いましょう。


投稿者 matsuno : 23:39

2007年03月18日

ガジュマル

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沖縄の小学校には、必ず「ガジュマル」の木がある。
今回訪れた南城市大里北小学校にも、樹齢100年以上といわれるガジュマルの木があった。

熱帯系の樹木で、枝から「気根」といわれる根がぶら下がっているのが特徴。とにかく、ジャングルを想像させるのにふさわしい繁り方をする。

この小学校のガジュマルは、登ることが出来るほど幹が太い。撮影は、この木の周辺で行われ、ラストシーンにふさわしい絵が撮れた。

こういう大きな自然いっぱいの木が、校庭にあるというのは、なかなかよいものだと思う。時代はどんどん変わっていくが、ガジュマルの木だけは、どっしりと根付いて、静かに時の流れを受けとめている。


投稿者 matsuno : 17:29

2007年03月15日

木に咲く花

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甲州街道沿いの木に、モクレン系の花が満開になっているのを発見した。

毎日、通る道なのに、花がいつ咲いたのかもわからなかった。

木に花が咲くのは、なぜか楽しい。春が来るぞーという感じがする。

ボストンの春もそうだった。なにしろ、一年の半分は冬みたいな所だから、春の訪れは本当にうれしかった。

その春の兆しは、木に一斉に花が咲くこと。

ちなみに、ボストンで「ああ、春だなあ」と実感したのは、日本でいうゴールデンウィークの後ぐらいだった。

日本も、最近、なぜか急に寒くなったが、これから一気に暖かくなるのだろうか。

投稿者 matsuno : 00:12

2007年03月09日

初春の房総

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旅というのは、わいわい楽しいのも良いが、やはり、限りなくわびしくて寂しい方が、私は好きであるように思う。

房総半島の南端、千倉の海岸にたたずむと、初春の明るい日差しの中で、なんともいえない虚無感を感じてしまった。

その虚しさが、どこから来るのかは、はっきりはわからない。ただ、1つだけ感じたのは、有限である自分という存在に比べ、こうした自然は悠久の中にあるという現実である。その現実を、この風景は、痛いほど思い知らせてくれるのである。

ただ、その虚無感は、私にはなぜか心地よい。ある意味、あきらめの境地に近いからかもしれない・・・。

この風景を見ていると、デジャブーに陥ってしまう。風紋の砂浜、昼下がりの少し弱まった太陽光線。菜の花。これらは、子どもの頃から、南九州で何度も見てきた風景である。

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投稿者 matsuno : 23:45

2007年03月02日

沖縄県北谷町で食する

以前、沖縄のぜんざいは、カキ氷だと書いたことがあるが、北谷町でも食してみることにした。

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なかなか、こじんまりしておいしかった。せんべいがお口直しにちょうど良い。

もう1つ、この北谷町には、嘉手納基地の将兵が集まるすし屋がある。
このすし屋で「おまかせ」で頼むと出てくるのが、マグロのカマである。

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やはり、うまい。沖縄料理とすしもあわせて食って、意外と安かった。


投稿者 matsuno : 23:36 | トラックバック

2007年03月01日

浜川小学校

「ブログで新聞を制作し、印刷も可能」・・・という夢のようなプロジェクトで、沖縄の北谷町に行ってきた。
実験の場所は、浜川小学校という嘉手納基地の南側にある小学校。参加したのは、6年生38名。

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小学校6年生ともなれば、生意気なのかなと思いきや、みんなピュアで人なつっこく、明るくて最高に面白かった。

新聞作りは、映像と違って、けっこう頭を使う。
最初、教室での授業で、「作文の嫌いな人は?」と手を上げさせたら、みんな手をあげるではないか。
これは、どうなることやら・・・と思った。が、実際にやってみると、すいすいと出来た。
つまり、取材して、説明する文章を書くのは、意外と簡単なのである。

材料があれば、誰でも作文するのは難しくない。
それと、「書きたい」という強いパッションがあれば、なおさら書きやすくなる。

今回は、いろんなことを小学生から学ばせてもらった。

学校給食というものを、何年ぶりに食べた。
メニューはマーボー豆腐と春雨サラダ、ご飯、牛乳、グレープフルーツだった。子どもたちと一緒に教室で食べると不思議と仲良くなるものだ。

心が洗われた一日だった。

私は教育学部出身で、専攻は心理学だが、大学時代は教員になろうとは思っていなかった。なんだか、寂しい仕事だと感じていたからだ。毎年毎年、子どもたちと別れを経験しなければいけない。子どもは成長していくのに、自分は学校という場所にとどまるというのが耐えられないと思っていたからだ。

しかし、最近、小学校でいろんなプロジェクトをやっていると、小学校の先生というのは、素晴らしい仕事ではないかと思うようになってきた。子どもたちって、やはり先生の方を一心に向いているんだなと思う。一生懸命、先生に気に入られようとしているのがわかる。先生からほめられると、やっぱりうれしいんだろうな。

今回のプロジェクトでも、みな一生懸命に取り組んでいた。大学では学生を叱ってばかりいる私が、小学校では、本当に本心でほめてあげていた。

投稿者 matsuno : 22:09 | トラックバック