« 2007年01月 | メイン | 2007年03月 »

2007年02月23日

昭島子ども放送局

ゼミで制作している「多摩探検隊」という地域再発見番組の第35回が完成した。今回は、昭島市の湧き水とその水を使ったシイタケ栽培農園のリポート。

「リポート」と書いたが、実際にリポートしているのは大学生ではなく、小学生である。昭島市立つつじが丘南小学校の6年生である。ゼミ生は、TA(ティーチングアシスタント)を務めた。

「昭島子ども放送局」いうプロジェクトを始めて、今年で3年目。小学生たちが番組制作を行って、その番組は実際にCATVに流れる。今回の作品は、「多摩探検隊」として、多摩地区の5つのCATVで放送される予定だ。

P1000462.JPG


このプロジェクトについて、同小の新井啓子校長は、「国語の文章の構造化と同じ」と語る。ばらばらの材料を集めてきて、それを物語になるように構造化し、構成する。そうすると、文字であれば作文になるし、映像だと番組になる。新井校長先生は、「芸術的な表現よりも、説明文が大事」という。つまり、普通の淡々とした描写を、構造化して、並べていくことが、結果的にわかりやすく感動を伝える文章になるというのだ。

これは、映像でも同じである。ナレーションで、コテコテの感情的な表現、たとえば悲しいとかうれしいとかいうダイレクトな表現をするよりも、説明的な文章で表現したほうが物語が良く展開できることに似ている。主人公が悲しければ、悲しいというよりも、北風に舞う枯葉のカットを入れるほうが表現的に優れている。コテコテの表現よりも、きちんと状況を説明するほうが、視聴者には伝わり易い。

これは、小説にも言えることだ。淡々とした説明的表現を読んでいくうちに、より内面的なもの、洞察に満ちた感性を、読者は読み解くことができる。

今回の第35回「多摩探検隊」では、小学生たちが禅寺の和尚さんと、シイタケ栽培農園のおじさんへインタビューをしている。淡々と進むドキュメント風のリポート番組だが、そこには笑いと郷土愛があふれている。いつも思うのだが、小学生たちが作る番組は、不思議な魅力をかもし出すのである。

子どもたちのリポートは、見る人をとってもハッピーにする力を持っていると、プレビューの場で思った。

小学生たちをサポートしたゼミ生の成長ぶりも、光っていた。小学生も大学生も、場を重ねることによって確実に進歩するものだと痛感した。

投稿者 matsuno : 22:04 | トラックバック

2007年02月18日

黄昏の校庭

昭島空.JPG

投稿者 matsuno : 23:19 | トラックバック

2007年02月16日

何気ないベンチ。実は・・・。

070216_231851_M.jpg

京王線のホーム。何気ない風景。
いつも座っていたベンチが、なんと!
「パスネッ」トでできていたんですね。

今日まで知らなかった。
驚いた。
(知らなかったのは、私だけかも・・・?)

070216_103902_M.jpg

すこし、読みにくいが、
「このベンチは、皆様の使用済みパスネットカード等を再利用し作りました」とある。

いろいろ調べてみたら、切符は、トイレットペーパーに。
定期券やパスネットは、ベンチになるそうな。

いいことやっているじゃないか。
・・・と思ったが、どうも、一説には、リサイクルするには、通常のベンチつくるよりもお金がかかるらしい。
エコは素晴らしいが、経費もかかるということでしょうか。

究極のエコは、やはり非接触型でしょうか。スイカやエディのような。
プラスティックを消費しなくていいので。けっこう、奥が深い。

投稿者 matsuno : 23:49

2007年02月13日

久高島

久高島に船で渡る。島の地面に、降り立つ。
ああ、なんだか、懐かしいところに来たみたいだ。

自転車を借りる。これも、中学、高校生が乗っていたような自転車。つまり通学用の自転車を貸し出している。

空気が違う。不思議な空間。

PIC_0133.JPG


小学校の門には、シーサー。


PIC_0131.JPG

島の先端に向かって、自転車をこぐ。
すると、一本の真っ白い道が、海に向かって走っていた・・・。

PIC_0007.JPG


その道の先端まで行くと、こうなっていた・・・。

投稿者 matsuno : 19:35 | トラックバック

就職活動の面接の極意!

私が面接した中で、さっさと落とした学生には、6タイプあった。

1つ目は、口をポカーンと開けてる状態の学生。

あいさつも元気がないし、イスの横まできて、ただボーっとたたずんでいる。普通は、大学名と名前ぐらい名乗るだろうが!、と言いたくなるような学生。しかし、この手の学生が、けっこういた。それから、面接が始まっても、こちらの質問にぽつりぽつりとしか話さない人。つまり、自分の人生がかかっているという認識が乏しい。こういう学生は、与えられるのを待って育ってきた連中である。会社が、そんな学生を採用するわけがない。自分から動いてアピールしなければ、この世の中、何も始まらないですね。


2つ目は、知ったかぶりする学生。

会社のパンフレットやWebを読み、業界研究も良くしているのだが、何でも知ったかぶりをして、墓穴を掘るのである。よく勉強しているなあと思うので、すこし専門的なことを聞くと、必死でつじつまを合わせようとする。それで、終わりである。分からないときは、「分かりません。勉強不足でした」と潔く答えた方がいい。つべこべ取り繕うと、それが印象を悪くする。知らないことは知らない、と正直に言いながら、「これから勉強いたします」と意欲を見せることが大事です。


3つ目は、自分がスカスカな学生。

これが一番多い。大学時代まで、一体何して生きてきたのか分からない人が多すぎる。自分をよく振り返って、分析できてないんですね。自分が好きなこと、やりたいこと、寝食忘れてのめり込んだこと、これからの夢、など、一度も自分で意識して考えたことがないんだね。就職活動するにあたっては、そういう自己分析は必須です。就職希望先に、自分をPRするのに、PRする本体である自分を自分が知らないわけだから、これは面接の時にボロボロになるのは当たり前。マスコミ受けるんだったら、3つぐらいは自分をPRできるカードを準備しておかないとね。
 就職活動を直前に控え、「すみません。私はPRできるカードがなにもないんですけど」と言った学生がいた。そういう学生は、「私は白紙です。白いキャンバスです。御社の色に染まります」、ぐらいしか言えない。それで受かるとは思えないが。
 本当は、どんな人でも、良く自分を振り返れば、PRできることはいくつかあるんですね。しかし、一番大事なことは、1年生のときから、しっかり勉強も遊びも活動もやって、何かを自分で学びとることが大事。つまづいても、失敗しても、そこから何かを学んだ人は、それがPRポイントになります。


4つ目は、受ける会社の人間をたくさん知っているという学生

それから、いろんな人の話を持ち出し、「御社の誰誰さんにも会いました」「講演を聴いて感動しました」という人。採用試験は、受けている人のことを知りたいのであって、社内の人間の話などは関係ない。ましてや、名前を挙げた人物に敵が1人もいなければいいが、マスコミではそんなことはありえない。面接官と相性が悪いときもある。そのときは、その場で終わりになる。面接している方も、あんまりいい感じがしない。どれだけ社員のOB訪問をしたと言われても、大事なのは受けている本人の魅力だからね。


5つ目は、態度でかい学生

「私を採用したいと思ったら採用してください」「私は自分に素直に生きたいと思います」「将来は独立して、外国でフリーとしてやりたいです」。

あ、そう、じゃ、さよなら!そんな奴、採用したくないよ!!

こっちだって、貴重な時間割いて、君のために話を聞こうとしているんだよ。それを、偉そうに自分の生き方の哲学とか言われてもね。自己中心的すぎる。社会に出ると、自分の思い通りにならないことは多い。命令されたら、すぐに事故現場、事件現場に行ってリポート送らなければならない。自分に素直に生きたいなら、いまだ徒弟制度の残るマスコミなんか受けなければいいのでは。
 「私はぜひ御社に入って、自分の○○という能力を生かして貢献したいと思います」「御社で仕事することは、私の子ども時代からの夢でした」「私は御社の○○という番組を制作することが、少年時代からの憧れでした」と言ってくれなきゃね。そういわれたら、少しは話を聞こうじゃないかと思ってしまう。それが、たとえ10分前に思いついたセリフであったとしてもね。やはり、熱意ですよ。やる気ですよ。それに、どういう能力を持っていて、どういうことがやりたいのかをちゃんと言えることだね。

エントリーシートを採点したり、面接をやるのは、本当に疲れる。だから、しゃきしゃきしてさわやかで、ちゃんと夢を語ってくれる人には、高い点数をつけてしまうわけです。ほとんどは、ESやぶり捨てたい学生ばかりだからね。

***
自分に素直に生きるということは良いこと。
しかし、それを採用試験の面接で言うべきなのかどうか。自分に素直に生きようと決心した瞬間、私はマスコミを目指すことにしました、というのならわかるが。
しかし、採用試験というのは、会社の業務を、本当に任せることができる人材なのかどうかを判断する場所なのだから、自分の生き方の哲学を披露する場所じゃないと思う。
自分の生き方の問題は、自分の中で考えればよいことだ。その会社に入ってどういう仕事をすることが自己実現につながり、どうすれば自分に素直に生きることになるのかは、自分の心の中で考えるべきものだと思います。


6つ目は、オーラの出ていない学生

マスコミの試験は大きく分けると2ブロックで構成される。1つは筆記。時事問題、常識問題、作文、英語。そして、もう1つは面接。筆記は受かっても、面接が極めて重要。最終まで行く人は、やはり、オーラが出ているんですね、オーラが。具体的には何かというと、笑顔とアイコンタクトは必須。それに、賢さやコミュニケーション能力の高さ、そして最後は、仲間にいれてもいいかなと思わせる人間性や人柄ですね。
 

何事も、トレーニングです。
ケタグリではなく、がっぷり組んで、寄り切れる実力。
そして、外見ではなく、内面からにじみ出る人間性。
鍛えられて強さに裏打ちされた優しさ、笑顔と明るさですね。


投稿者 matsuno : 00:04

2007年02月12日

沖縄の海

PIC_0014.JPG

そろそろ、「沖縄病」を発症しそうな雰囲気になってきた。

この写真は、一昨年3月20日に、知念村(現在は南城市)で、撮影した。
この浜辺は、あまり知られていない。地元の人の案内で訪れた場所。

この場所から、ニライカナイ伝説の久高島が見える。

美しい・・・。

投稿者 matsuno : 23:45

2007年02月11日

春の兆し

最近、物騒な事件が続いている渋谷区で、「春の兆し」を発見。

沈丁花(ジンチョウゲ)。

まだ、少ししか花が咲いていないのに、その香りは、信号を待つ人たちに確実に届いていました。

070211_145519_M.jpg

投稿者 matsuno : 17:08

2007年02月10日

たかが映像、されど映像・・・

マスコミの世界で20年以上働いて、大学という環境に入ったが、そこで学生に感じたのは、次のようなことだった。

「とろい」
「不真面目」
「無責任」
「いいかげん」
「志(野心)の欠如」
「段取りが下手」
「マネジメント能力欠如」
「リーダーシップ欠如」
「基礎学力不足」
「受身」
「礼儀と敬語知らず」

11もあり、途方に暮れたのである。ほとんどの教員は、こういう問題は大学教育の範疇ではない。本人の問題だと言うのだろう。が、マスコミの現場で修羅場をくぐり抜けてきた者としては、「ゼミ生ぐらいはなんとかしなければ・・・」と思った。

人生は自己責任だから・・・。そう言ってしまえば、大学だから、それで済む。しかし、学生がかわいそうに思えてならない。社会で生きていけない連中が多く、このまま送り出すと、きっと脱落していくのではないかと不安になった。

またやっかいなのは、マスコミ希望者が私のゼミに来るのである。

マスコミは、東大などの有名国立大学、早稲田、慶応といった連中がひしめき、そのなかでも、野心や自尊心の強い「ギラギラした奴」がうごめいている場所である。

まずマスコミに受かるのが大変だし、入ってからも大変である。そもそも就職活動する以前の問題、つまり11個の課題をクリアしなければ、とてもとても、「私は、マスコミ志望です」などと言えないぐらい難しい業界である。

こうした絶望的な状況が、すこしだけ変わるきっかけがあった。

私のゼミでは3年前、「多摩探検隊」という番組を制作して多摩地区のCATVで放送するという活動を開始した。この活動は、地域情報化のツール、市民メディアのモデル作り、機能分析という研究を目的にやりはじめたものだった。

しかし、それは甘かった。11もの問題を抱えた学生が、こういう番組制作などというメディアでも最も難しい作業をこなせるわけがないのだ。だから、最初は、自転車操業状態。私も、体を壊した。

それが不思議なもので、少しずつだが、ノウハウを蓄積し先輩から後輩へ伝承し始めた。毎月放送される番組も、国内のコンテストで入賞するようになった。番組のレベルも、最近はかなり高くなったように思う

私が最も驚いたのは、11もの問題を抱えた学生は、1,2年で、急激に成長し、ある程度改善するという事実だ。

そもそも、普通の社会人でも、この11をすべてこなせる人などいないだろう。程度の差の問題である。最近は、いろんな企業の方やマスコミの方が取材にこられるが、どの方もゼミ生の態度に驚かれる。「まだ2年生なの?4年生かと思った」「鍛えられてますねー」。

番組制作というものは、企画を立て、アポを取り、現地に行って事前取材し、構成を立て、そして撮影に行き、さらに構成を立てて、編集作業を行い、いろんな先輩に叩かれ、そして、一本わずか数分の作品をパッケージ化する。とてつもなく手間がかかり、気絶するぐらい面倒な作業である。

こうした作業は、映像制作というスキルだけでなく、人間性を鍛える上でも役に立つと、最近確信している。身なりや言葉遣い、取材先とのコミュニケーション、安全管理、チームワーク、面白ければ苦労は乗り越えられるという実感、そして、完成させて放送されれば自己効力感も向上する。

すさまじく口の堅い職人さんが、多摩地区にはたくさんいる。「撮影はうっとおしい」と言って断る人もいる。朴訥で、なかなか心の内を語ってくれないガンコ親父もいる。しかし、そういう世代の違う人たちのところに、何回も何回も足を運んで話をする。そうしているうちに、向こうが根負けして、すこしずつ話し出してくれる。最後は、若い学生たちと不思議な信頼関係が芽生えている。

こうした経験は、ジャーナリストになってからも、十分いかせるのではないかと思う。

そしてなにより、自分の足で多摩という地域を歩き、実は多くの未発見のものが存在するのだということに気づくという点が、面白いのである。これもまた、新聞記者になって地方に赴任して取材するときは役に立つし、何より楽しんで仕事ができる。

途中で、「ゼミ活動やっていると遊べない」と言って去っていく者もいる。しかし、最後まで生き残った者は、何某かの成果を握り締めて卒業していく。そのころには、11の問題はかなり改善されている。

大学のサーバーが消滅しない限り、自分が苦労して制作した作品は残り続ける。社会に出てもネットにアクセスして作品を見れば、そこに自分の青春の輝きを見つけることができるのである。

マスコミ業界にも毎年数人は受かるようになった。しかし、それは結果である。それよりも、もっと大事なものを、ゼミ活動を通して体得してくれていれば、私はうれしい。

たかが映像、されど映像である・・・。

*ただ、活字による訓練もあわせてやらないといけないのであるが、その話は、また別の機会に。

投稿者 matsuno : 23:06