2007年01月20日
昔、無機質だった町と、今も無機質なキャンパスを考える。
茨城県には、通算で4年間ほど住んだ。
ちょうど、科学万博をはさんでいたので、激動の4年間だった。
最初、あの茨城弁には、ショックを受けた。「ここは、東北か」と思った。ただすぐに、アクセントは宮崎弁の抑揚に似ているということに気づいた。転校転校で養った順応性で、茨城弁もすぐに覚えた。いまでも話せる。
茨城では、けっこう苦しい思い出もあるのだが、海があったことと、様々な大型開発プロジェクト、あふれる自然と食べ物、基地問題、原子力問題、筑波研究学園都市、土建政治と選挙、があったことで、記者として実に鍛えられた4年間だった。今思えば、良いところだった。その中でも、筑波は、茨城の中の未来都市みたいなところで、不思議な町だった。
最近、つくばエキスプレスに乗りたいと思い立ち、久しぶりに筑波に出かけた。わずか45分で、秋葉原からつくばまで行ってしまう。少々、運賃は高いのだが、なんと言っても早い。乗っていて気づいたのは、沿線は開発ラッシュであるということ。住宅造成で、風に砂煙が舞っていた。
つくばに着くと、そこには、かなり整備された「筑波研究学園都市」の姿があった。マンションの数が増えたような気がする。記者時代に「セイダカアワダチソウの中に、銀色の研究所が立ち並ぶ人工的な町」と表現した筑波は、すっかり人間の顔をした町になっていた。
その昔、あまりにも辺鄙で、人工的で、研究者の自殺者が多かった。「筑波病」とまで名づけられた。単身赴任の科学者たちが、業績をあげなければというプレッシャーに負けて次々と自殺した。
筑波大の精神医学者などにも取材をしたが、皆、「界隈」がないのが原因としていた。つまり、「人間の顔とにおい」のするドヤ街みたいなものだ。東京でいえば、新橋とか有楽町のガード下の焼き鳥屋街みたいなものだ。筑波はけっこう寒いので、冬の雨の日は、精神的にはつらかっただろうと思う。
今は、映画館はあるし、飲み屋街もある。
隣りの韓国は、筑波で研究者の自殺が多いことも研究し、大田(テジョン)の近郊に作った大徳研究学園都市は、高速道路でダウンタウンと30分で結んで、「筑波病」を予防できるように設計した。韓国でも、「筑波病」は有名だったことは、現地で取材してみて、本当に驚いた。
さて、中央大学はどうかというと、これがまったく人間性を無視した人工的で幾何学的なキャンパスである。大学の外に町はなく、界隈もない。大学外の市民や町とも隔絶されている。ただ、ひたすら国家試験や公務員試験の勉強をしろとでもいうのだろうか。
大学は、社会から隔絶したり、閉じこもったりするべきではない。やはり、みんなが、来たくなるようなアメニティのレベルが高いものに設計しなければならないと思う。
センター試験でここを訪れる受験生は、どう思うだろうか。
遠くから受験に来る学生は、どう思うだろうか。
本来は、試験会場に来たら、「ああ、ぜひこのキャンパスで青春を謳歌したい」と思えるような設計であるべきだ。現状では、「ここにだけは、来たくない」と思う学生もいるかもしれない。
私が学長ならば、まず学内にコンビニとスタバを入れるだろう。すでに東大だって学内にコンビニ入れているぐらいだから、なぜ私立にできないのだろうか。さらに、ビルの色を変え、夏はキャンパスをカフェ風にアレンジするだろう。
そして、さっさと、都心にメインキャンパスを移転させ、学部も大学院も、時代のニーズにあったものに、大幅に改編してしまうだろう。どんなに学問的にすばらしいと言っても、高校生に「ここに来たい」と思わせないことには、どんどん都心にある他大学に流れていく。
無機質で寒々としたキャンパスは、この少子化の時代、若者から見捨てられる可能性がある。そして、「筑波病」のようなシンドロームを発生させる可能性もある。
「快適なキャンパス」という発想が、必要だと痛切に思う。みんなでアイデアを出し合い改善していく方法を考え、提案をしていきたい。今年はそろそろ。無視されるかもしれないが。
投稿者 matsuno : 2007年01月20日 23:45