2006年07月16日
戦艦大和を護衛していた巡洋艦と駆逐艦
戦艦大和を護衛していた巡洋艦と駆逐艦(テレメンタリー)
広島ホームテレビが制作した「悲劇は大和だけではない~第2艦隊 最後の別れを告げに~」。
戦艦「大和」ブームともいえる現象がおきている。
しかし、実は、「大和」を護衛する艦船が9隻いて、あわせて「第2艦隊」と呼ばれた。
沖縄に向けた洋上特攻は、「大和」だけではなく、「第2艦隊」として命令を受けたものだったという。
命令は、「沖縄敵艦船ヲ撃滅セントス」
今回のドキュメンタリーは、洋上慰霊の同行取材を軸に、「大和」の護衛艦船の事実を明らかにし、それにまつわる物語を追いかけたものであった。
北緯30度43分17秒、東経128度4分、水深350メートルの海底に、「大和」は沈んでいる。その付近に、護衛艦船も沈んでいる。
この沖縄特攻に参加したのは約3900人。戦死者は3681人だった。
「大和」の撃ち方始めは、1945年4月7日0:38PM。そして、沈没したのが、2:23PM。
3332人の乗組員のうち、2740人が戦死した。
このドキュメントで、あたらしく知った事実があった。
それは、艦隊末尾で護衛にあたっていた駆逐艦「朝霜」は機関故障を起こし、1隻で敵機と交戦し326人全員が戦死したこと。その最後を見た日本人は誰もいなかったことだ。
さらに、最後まで乗組員の救出にあたった駆逐艦「冬月」「涼月」は、北九州市若松の港に沈められ、そこは「軍艦防波堤」と呼ばれていること。
このドキュメンタリーで、最も感動したことは、洋上慰霊の発起人である藍原アサさんの物語である。
80歳を超える彼女は、わずか28日間の結婚生活だけを送った夫・野田文雄を慰霊するために参加した。
彼女は、「今回は、発起人の1人で来ているので、心の中でさようならを言います」と控えめに発言していた。
61年前の3月19日の夜、空襲警報がなり、夫は出て行った。それが最後の別れとなった。
結局、「さようなら」は言えないままになってしまった。
夫は、巡洋艦「矢矧」の乗組員。446人が戦死。
実際に、沈没の現場に来たときに、藍原さんはマイクで巡洋艦「矢矧」について説明を行った。
そして、最後に、マイクのスイッチがはいったまま、「文雄さん、さようなら」と言った。
きっと、海に眠る文雄さんの魂にも、アサさんの声が届いたにちがいない。そう思った。
投稿者 matsuno : 2006年07月16日 16:34
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